両面宿儺は実在していた?存在した時代や画像はある?

両面宿儺が実在した時代や画像は?

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今回は両面宿儺は実在していた?存在した時代や画像について紹介したいと思います。

この記事では私の考察を含めますのでご了承ください。

呪術廻戦は実際の呪いと恐れられているものや、日本書記などの伝承などがもとにされているといわれています。

宿儺もそのうちの1人です。

実在していた宿儺と、呪術廻戦の宿儺ではどのような違いがあるのでしょうか。

宿儺は2つの顔があるので、鬼神と英雄の顔があるとされています。

今回は宿儺の画像も紹介したいと思います。

では両面宿儺は実在していた?存在した時代や画像についてみていきましょう。

両面宿儺(リョウメンスクナ)とは

両面宿儺とは作中で「呪いの王」とされている両面宿儺のことです。

頭の前後に顔があり、呪術廻戦においては腕が4本に顔が2つという設定になっていますが、モデルとなる日本書紀に登場する両面宿儺は腕だけでなく、脚も4本あったと描写されています。

 

両面宿儺が存在したのは何時代?

両面宿儺は仁徳天皇の時代に飛騨に現れたとされる異形の人・鬼神として日本書紀に登場してきます。

日本初期においては、討たれたとされる凶族として描かれている反面、毒龍退治や寺院の開基になった貴族であるとの言い伝えもあります。

 

両面宿儺の画像はある?

ここで宿儺のモデルとなった仏像を紹介したいと思います。

 

両面宿儺はどんな人物

日本書紀と伝承であり方が変わります。

「日本書記」の仁徳天皇65の条に、顔の前後に顔がある人物が登場します。

怪物の名前は両面宿儺。

作中で「呪いの王」と呼ばれている宿儺のモデルです。

両面宿儺は怪物として恐れられる一方で飛騨から美儂にかけてさまざまな伝承が残されています。

「宿儺は武勇に優れ神祭の司祭者であり、農耕の指導者でもあった」とう伝承が残されています。

さらには水の神や雨乞いの神として鞍岳で信仰を集めたともされています。

「日本書紀」にある宿儺とは真逆の存在として描かれているのです。

まさに2つの顔を持つ宿儺は怪物と神という2つの「顔」をもっていると言えるのです。

 

両面宿儺が実在した場所はどこ

飛騨国から美濃国にかけての旧飛騨街道沿いには両面宿儺の様々な伝承が残り、その内容は日本書紀の記述と異なるものが多く存在しています。

現在の岐阜県にあたるところですが、

  • 丹生川の伝承では「七難の頭髪」を挙げ、神主家の説として鬼神七難が神威により誅伐された伝承が記されている
  • 金山の伝承では両面宿儺は37日間大陀羅尼を唱え、国家安全・五穀豊穣を祈念して高沢山へ去ったとされている
  • 関市下之保の伝承では高沢山の毒龍を制伏したとされている

 

呪術廻戦の両面宿儺のモデルになっているのか考察

呪術廻戦においても本体と似通った描写で描かれているので、呪術廻戦の両面宿儺のモデルは、日本書記に出てくる両面宿儺で間違いないでしょう。

両面宿儺は鬼神としての描写や英雄としての描写が描かれていますが、呪術廻戦の宿儺に英雄側の視点で書かれることはあるのでしょうか。

 

両面宿儺が登場する作品は他にも

ここでは両面宿儺が登場する作品を紹介したいと思います。

  • 「両面宿儺」小説の登場人物が両面宿儺についての考察をしている。
  • 「宗像教授伝奇考」「両面宿儺」回内で両面宿儺に対する考察がなされている。

 

両面宿儺は実在していた?存在した時代や画像はある?記事まとめ

今回は両面宿儺は実在していた?存在した時代や画像について紹介しました。

宿儺は存在している仏像をモデルとしていました。

呪術は呪いもそうですが、伝承などにも深くかかわってくる作品なので、他にもモデルとなった人物がいることは確かでしょう。

機会があれば紹介してみたいと思います。

最後までご愛読ありがとうございました。

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