鬼滅の刃ヒノカミ神楽のネタバレ考察!炭治郎が使い手である理由やアニミズムとの関係は?

鬼滅の刃タイトル

 アニミズムというものをご存知でしょうか。自然崇拝と言ったりもします。生物はもちろん、無機物にも魂が宿っているという考え方のことです。『鬼滅の刃』で重要とされている要素(ファクター)の多く、特にヒノカミ神楽を中心とする呼吸法にアニミズムの考え方が取り入れられています。

 例えば、『鬼滅の刃』の主人公。そもそもどうして竈門炭治郎という炭売りの少年でなければいけないのでしょうか。また、そもそも鬼はどうして太陽に弱いのか。設定のさらに奥にあるそもそもヒノカミ神楽を中心にアニミズムの視点から考察していきます。

鬼滅の刃ヒノカミ神楽考察①主人公はなぜ炭次郎なのか?

炭治郎

まずは竈門炭治郎の人物像について、今年7月に刊行された

『鬼滅の刃 公式ファンブック 鬼殺隊見聞録』

を見てみましょう。

家族想いで優しき心の持ち主。鬼に殺された家族の仇を討ち、鬼化した妹を人間に戻すために剣士となる。赤みがかった髪と瞳は火仕事をする家では縁起が良いとされる「赫灼の子」と言われた。

「火仕事をする家」

炭 フリー

炭治郎の実家である竈門家は、代々炭を売るという仕事を生業としていました。炭治郎の母(葵枝)も神楽について次のように言っています。

「うち火の仕事をするから怪我や災いが起きないよう」ヒノカミ様に捧げてお祈りをする。(コミックス5巻、アニメ19話)

火のデメリット

火を扱うということで怪我や災いが起きてしまう可能性があることは、理屈抜きに納得できるかと思います。日本アニメの傑作「もののけ姫」も、そもそもは火を扱うタタラ場の自然破壊がきっかけとなって始まる物語です。時事的な話題では、沖縄県の首里城が火災の被害を受けてしまう大変痛ましい事件も起きています。まさに「マッチ一本火事の元」です。

火のメリット

逆に、火は「不浄なものを払う」存在でもあると言われます。作中では先ほど触れた神楽や、切り火というお清めが行われています。(炭治郎、善逸、伊之助が鬼殺隊として初めて行動を共にするとき、藤の花の家紋の家のおばあさんがやってくれたアレです。)

炭治郎が主人公である理由

炭治郎が使うヒノカミ神楽は、まさしく鬼という不浄を払う儀式だと考えられます。そしてこの儀式は、元々は人である鬼に対して同情の念を抱き真摯に向き合う炭治郎だからこそ使える呼吸=儀式なのです。

炭治郎は、この神楽を舞う父の姿を思い出すことでヒノカミ神楽という必殺の呼吸を会得しました。この呼吸を使う主人公は、「火の仕事をする家」に生まれた竈門炭治郎以外にあり得ないのです。この竈門家に関するエピソードは、今後も重要なファクターとなるに違いありません。

鬼滅の刃ヒノカミ神楽考察②なぜ鬼は太陽に弱いのか?

きぶつじ

突然の閑話休題

私は『鬼滅の刃』という作品を読んで最初に思ったことは、

『ジョジョ』じゃん!」

でした。同じ感想を抱いた方は、一定数いるはず!と思うのですが、いかがでしょうか。こんな胡散臭い記事をここまで読み進められたあなたもきっとそうお思いに違いありません。

「日の呼吸とアニミズム」

さて、呼吸法によって日光に弱い鬼を倒す。ここにもアニミズムを見出す事ができます。全ての呼吸のはじまりとして重視されている「日の呼吸」アニミズムのつながりを考察していきます。

「日の呼吸」は名前の通り、太陽をイメージした呼吸法です。この呼吸を使用した者はが出来るという話も出てきたり、十二鬼月最強格である上弦の壱・黒死牟と関係がありそうですが、詳しいことは不明です。

この「日の呼吸」と深く関係しそうなのが、やはり「ヒノカミ神楽」です。

「ヒノカミ神楽」は「ヒノカミ様に舞を捧げてお祈り」をする竈門家の神楽を参考としています。このヒノカミ様は何らかの神様であると考えられます。火の神日の神などのダブルミーニングに近い名称だと思われます。のどちらの意味をとっても、アニミズム(自然崇拝)的な思想から生まれたネーミングだとおもわれます。

ヒノカミと日本の神様①

世界各地の神話でも火を神格化した神は太陽神や火山の神と同一視されることが多いと言われます。日本においては太陽神の天照大御神や火の神、火之迦具土神がメジャーですが天火明命(アメノホアカリ)という火の神様も存在します。個人的には作中の「ヒノカミ」は、メジャーどころの神よりもこちらの天火明命に近い存在に思われます。

ヒノカミと日本の神様②

もしくは、火の上位互換としての太陽や、生命の源としての太陽という着想から、高天原を統べる主宰神である天照大御神が関係するかもしれません。また、元は人間だった鬼が太陽に弱いという設定も生命の源である太陽に触れることで本来の生命の形に戻れるということかもしれません。

いずれにしても自然が人間に見せる雄大さや厳しさ、優しさを神格化したものが日本の神様です。この神様への信仰から作中の呼吸法が生まれたのではないかと考えています。上弦の壱・黒死牟はこの「日の呼吸とどう関係してくるのでしょうか…。

まとめ

『鬼滅の刃』における「そもそも」を二つ、アニミズムを交えて考察させて頂きましたがいかがだったでしょうか。『鬼滅の刃』はアニミズム的な要素をうまく取り入れ、少年漫画として成立させており、一風変わった作風として人気を博しているのかもしれません。先に触れた『ジョジョ』ではただのやられ役だった鬼を、『鬼滅の刃』では元人間として掘り下げている点が顕著でしょう。人間VS異形のモノという対立を描く作品は多くありますが、

『鬼滅の刃』の鬼は異形のモノではなく、元人間です。

鬼を倒すことは、すなわち鬼を救うことでもあります。それは、どんなものにも魂があるというアニミズムの考え方にも共鳴します。

鬼にだって魂や感情がありますしね。

何があるかわからない、どんな人がいるかわからない現代社会で忘れがちな考え方=アニミズムが『鬼滅の刃』にはあります。以上のことを念頭に置いてもう一度『鬼滅の刃』を読んでいただけたら幸いです。

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