羽生結弦はコーチがなぜいない?不在の理由や歴代のコーチを紹介

羽生結弦コーチ不在

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2021年12月26日に開催された「全日本フィギュアスケート選手権2021」男子フリーでは人類初となる4回転半にチャレンジした羽生結弦選手!

圧巻の演技で2年連続6度目の優勝と北京オリンピックの出場内定も決めました!

右足首の負傷からグランプリシリーズ第4戦・第6戦の欠場を発表したあとの大事な大会でした。

ところが羽生結弦選手のそばには、いつもいるはずのオーサーコーチが不在だったのです!

大きなプレッシャーの中、素晴らしい結果を残した大会にコーチが不在だったというのは驚きました。

スケート選手だけでなく、どんなスポーツでもコーチの存在は取り上げられますよね。

ではなぜそんな大事な大会にコーチは不在だったのでしょうか。

今回は羽生結弦選手のブライアン・オーサーコーチ不在の理由と歴代のコーチについてまとめます。

羽生結弦のオーサーコーチ不在

 
 
 
 
 
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羽生結弦選手にはブライアン・オーサーコーチとジスラン・ブリアンコーチという2人のコーチが存在します。

ブライアン・オーサーコーチ(画像左)はプログラムや振り付けを、ジスラン・ブリアンコーチ(画像右)は主にジャンプの指導にあたっています。

今回注目なのはブライアン・オーサーコーチ。

右足首の負傷でグランプリシリーズ第4戦と第6戦の欠場を発表した羽生結弦選手にとって、北京オリンピックの出場権もかかった大事な大会にオーサーコーチが不在だったことです!

オーサーコーチはどんな人

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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2012年から羽生結弦選手を指導してきたブライアン・オーサーコーチとはどんな人でしょうか。

プロフィール

Brian Orser(ブライアン・オーサー)

1961年12月18日生まれ

カナダ出身の元フィギュアスケート選手

オーサーコーチが選手のころ、現在では女子選手も成功させているトリプルアクセル(3回転半)は最高難度の技でしたが、オーサーコーチは1984年サラエボオリンピックでオリンピック史上初となるトリプルアクセル成功者でした。

そんな最高難度のトリプルアクセルを美しく安定的に飛べる選手であったことから「ミスター・トリプルアクセル」と呼ばれていました。

主な経歴

1984年サラエボオリンピック銀メダリスト

1988年カルガリーオリンピック銀メダリスト

1987年世界フィギュアスケート選手権優勝

引退後は1989年のテレビ映画「氷上のカルメン」に出演しエミー賞を受賞。

1998年には同性愛者であると公表し現在はパートナーの男性とトロントで暮らしています。

2000年頃からフィギュアスケートの振付師として活動を始めました。

過去の教え子たちはそうそうたるメンバーで、

  • キム・ヨナ(2010年バンクーバー五輪金メダル・2014年ソチ五輪銀メダル)
  • エフゲニア・メドベージェワ(2018年平昌五輪銀メダル・2016・2017年世界選手権2連覇)
  • ハビエル・フェルナンデス(2018年平昌五輪銅メダル・2015・2016年世界選手権2連覇、2013~2019年欧州選手権7連覇)

といった有名選手を育てました。

そして現在はというと…

  • 羽生結弦
  • 紀平梨花
  • 西山真瑚
  • ジェイソン・ブラウン

などなどこれからも活躍が期待される選手揃いです!

羽生結弦のコーチが不在!解任ではなく2人で決めた理由とは?

 
 
 
 
 
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2012年から羽生結弦選手の指導にあたっているブライアン・オーサー氏が不在、という異例の状況で迎えた全日本フィギュアスケート選手権でしたが、じつは羽生結弦選手は以前からコロナの影響で練習拠点であるカナダへ渡航できず一人で練習をしてきました。

今シーズンはコロナによる規制も緩和された時期もありカナダへ行けたのでは?しかしカナダへは行かずコーチも不在。

これはコーチ解任ではなくある理由から2人で決めたといいます。

小学校時代の羽生結弦選手を指導していた都築章一郎コーチは

「ひとりのほうが効果的な練習ができると自分自身で考えて、判断しているのでしょう。創作意欲を高めることや、振り付けを効果的に練習する目的があるのではないかと思います」

とインタビューで話しています。

そもそも羽生結弦選手は日本にいるとき、オーサーコーチとあまり連絡を取り合わないそうです。

羽生結弦選手はひとりで練習することでこれまでの教えをしっかり復習する時間として過ごしていたんですね。

さらにスポーツジャーナリスト・折山淑美氏によると

羽生選手は喘息持ちなので、コロナに感染したら大変なことになる。オーサーはさまざまな選手と接するため、双方が理解したうえで直接会うことを控えるようにしたそうです。

オーサーコーチが不在なのはコロナというやむを得ない理由だけではなく、羽生結弦選手を大切に想う気持ちと彼は乗り越えられる、という信頼があるからこその決断かもしれません。

羽生結弦の歴代のコーチを紹介

 
 
 
 
 
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4歳からスケートを始めた羽生結弦選手はジュニア時代からめきめきと才能を開花させてきました。

ここで羽生結弦選手の歴代のコーチをご紹介します!

 

山田真美コーチ

 
 
 
 
 
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スケートを始めた4歳から小学2年生までは山田真美コーチでした。

羽生結弦選手もかわいい表情ですね!

羽生結弦選手の運動神経の良さを知り、山田真美コーチは「いずれ日本を代表する選手になる」と感じたそうです。

今では世界から注目され目指される選手に成長しました。

コロナ禍でコーチ不在の状況には「本来ならありえない、普通じゃない」と言い「よく一人であそこまで仕上げた」と山田真美コーチは評価しています。

 

都築章一郎コーチ

元フィギュアスケーターの佐野稔氏を育てたことでも知られる都築章一郎コーチは羽生結弦選手を小学2年から小学6年まで指導。

「お前は世界に羽ばたくんだから」と羽生結弦選手に何度も言い聞かせながら指導してきたそうです。

東日本大震災の時には練習拠点がなくなった羽生結弦選手を受け入れるなど師弟関係が終わった後も支えてこられました。

なんと2022年1月5日に84歳のお誕生日を迎えられた都築章一郎コーチはいまも現役のコーチでいらっしゃいます!

 

 

 

阿部菜々美コーチ

 

次に羽生結弦選手を指導してきたのは阿部菜々美コーチです。

羽生結弦選手と同じ仙台市出身で元フィギュアスケーターで引退後はディズニー・オン・アイスに出演されていました。

その頃の振付師からの影響が強くあり、振付師としてのちに荒川静香さんの振り付けも担当しました。

羽生結弦選手は2010年世界ジュニア選手権優勝、2012年世界選手権では初出場で銅メダルに導きました。

2014年NHK杯のエキシビジョンで披露した「東日本大震災復興ソング”花は咲く”」の振り付けを担当したのも阿部菜々美コーチで、羽生結弦選手のやわらかくしなやかな演技に皆が感動しました。

 

ブライアン・オーサーコーチ

 
 
 
 
 
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2012年からは新たにブライアン・オーサーコーチとの師弟関係がはじまりました。

カナダへ渡航しオーサーコーチのプライベートクラブ「クリケット・クラブ」で指導を受けるようになります。

ここでの練習はオーサーコーチの他、振り付け担当のコーチ・ジャンプ担当のコーチなどチームで選手を指導していて、さらに他の選手とも同じリンクで練習を行っているので選手同士の刺激にもなるのが特徴です。

チームオーサーになってからの羽生結弦選手はジャンプの精度があがったり歴代最高得点を出したり確実に成長しましたね。

羽生結弦コーチ不在の理由まとめ

 
 
 
 
 
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羽生結弦選手にはコーチがなぜいない?不在の理由や歴代のコーチについて紹介しました。

コーチ不在については、

  • コロナの影響で渡航できないから
  • 羽生結弦選手の喘息を心配したオーサーコーチの配慮
  • これまでの練習の復習に集中できるから

というやむを得ない理由とオーサーコーチの配慮、そして二人の信頼関係があっての理由でした。

歴代のコーチから様々なことを学び吸収し表現してきた羽生結弦選手は、震災やケガなど大きな困難も乗り越えてきました。

コロナ禍の状況でも素晴らしい成績を残せたのはこれまでの経験があってこそだったのでしょう。

人類初の挑戦を続ける羽生結弦選手からまだまだ目が離せませんね!

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