箱根駅伝は正式名称じゃない?目的や歴史を詳しく紹介

箱根駅伝歴史

お正月の恒例行事である「箱根駅伝」

学生三大駅伝の最高峰であるこの駅伝は関東圏のみの地方大会であるにもかかわらず、もはや国民的行事と言っても過言ではないですよね。

コロナ禍の箱根駅伝2022はテレビ中継での観戦を楽しみにしている人も多いのではないでしょうか。

しかし「箱根駅伝」というイベント自体は知っていても、その正式名称や歴史について知っているという人は意外と少ないかもしれません。

今回は箱根駅伝の正式名称や目的、歴史などについて詳しくご紹介します。

 

箱根駅伝の正式名称は?

箱根駅伝の正式名称は「東京箱根間往復大学駅伝競走」といいます。

ちなみに記念すべき第1回目の大会参加校は東京高等師範学校(現筑波大学)、早稲田大学、慶応義塾大学、明治大学の4校のみだったため「四大校駅伝競走」という名称で行われました。

第2回目の大会では3校増えて「七大校駅伝競走」、第3回目にはさらに増えて「十大校対校駅伝競走」と名称がどんどん変わっていきます。

第4回目以降の大会記録に違う名称は書かれていませんので、おそらく第4回目の大会から現在の「東京箱根間往復大学駅伝競走」という名称になったのではないでしょうか。

 

箱根駅伝が始まった目的は?

箱根駅伝の創設はオリンピックと深く関わっています。

日本人初のオリンピック選手であり「マラソンの父」と呼ばれた金栗四三氏が、ストックホルム五輪で自身と世界との差を痛感したことから世界で通用するランナーを育てたい」という思いで始めました。

箱根駅伝は「箱根から世界へ」という壮大な夢を掲げていることをご存知でしょうか。

第1回大会出場の茂木善作(東京高等師範学校)、三浦弥平(早稲田大学)が1920年アントワープ大会代表に選ばれたのを始まりに、これまで85選手をオリンピックに送り出しています。

まさに箱根駅伝は日本の長距離走者の飛躍の場といっても過言ではありませんね。

 

箱根駅伝の歴史

画像:指導している生徒たちと金栗氏(引用元:熊本県公式観光サイト

箱根駅伝の誕生は1920年(大正9年)にさかのぼります。

その1年前の1919年から、「マラソンの父」と呼ばれた金栗四三氏は東京高師教員の野口源三郎氏、明治大生・沢田英一氏とともに箱根駅伝の構想実現に向けて動き出しました。

同じ1919年に金栗氏らによって創設されたのが「全国学生陸上競技連合」、現在の「関東学生陸上競技連盟」です。

当初は夢を大きく「アメリカ大陸横断駅伝」を考えたそうですが、さすがに後援するところはなく予選会にと考案した東京と箱根間を結ぶ駅伝競走を報知新聞社が後援することになったのが箱根駅伝の始まりでした。

記念すべき第1回目の大会は1920年2月14日・15日の2日間にわたって、東京高等師範学校(現筑波大学)、早稲田大学、慶応義塾大学、明治大学「四大学対抗駅伝」として実施されました。

こうして箱根駅伝の歴史が幕を開け、第二次世界大戦中に大会の中止・中断があったものの、たくさんの熱い想いが引き継がれた箱根駅伝は2022年で98回目を迎えます。

また2004年の第80回大会から最も活躍した選手には「金栗四三杯(MVP)」が贈られています。

 

箱根駅伝は何人で走る?

箱根駅伝は1チーム10人の選手で編成されます。

エントリーは16人(区間エントリー10名、補欠エントリー6名)となっています。

本選に出場できるのはシード校10校と予選通過校10校に関東学連チームを合わせた21校。

10区間をそれぞれ各校1名ずつの選手が走るので、スタート時は21名の選手が一斉に走り出すということですね。

 

まとめ

今回は箱根駅伝の正式名称や目的・歴史についてご紹介しました。

100年を超す歴史を持つ「箱根駅伝」。

私自身も箱根駅伝とオリンピックが深く関わっていることや、当初の「アメリカ大陸横断駅伝」という壮大な構想などは知りもしませんでした。

毎年何気なく観戦していた人も、目的や歴史を知ることでよりいっそう箱根駅伝の魅力が増したのではないでしょうか。

またその他にも箱根駅伝についてご紹介していますので、ぜひ他の記事も併せて読んでみてくださいね。

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最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

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