王騎が死んだ理由(死因)は?偉大な男の最期は何巻何話!?

王騎 死因

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強烈な印象の王騎将軍。

物語の序盤に亡くなってしまいます。

しかし、未だにファンが多い一人だと思います。

そして、主人公「信」も憧れており、大きく影響を受けています。

死因や最期はどのようだったのでしょうか。

王騎将軍は、昔、昭王の時代に活躍した六大将軍の一人で、「秦国の怪鳥」という異名を持っています。

見た目は強烈で、最初に登場したときは、怖い・・・というか気持ち悪かったです。

しかし、話が進んでいくと、王騎の人柄、人としての器の大きさに魅了されていきました。

今回は、そんな王騎の死因や最期について見ていきましょう。

 

王騎が死んだ理由は?

王騎の最期の戦いは復帰戦となった馬陽の戦いでした。

唯一現役の六大将軍だった王騎将軍は、中々表舞台には戻ってきませんでした。

  • 秦王嬴政の王としての器を認め、再度王に仕えることを決意
  • かつての婚約者「摎(キョウ)」を亡くした地が「馬陽」

この2点から戦場に復帰することを決意した王騎将軍。

しかし、趙の軍師である李牧の策に王騎将軍は嵌ってしまいます。

そして、趙軍三大天の一人「龐煖(ホウケン)」との一騎討ちに敗れ、亡くなりました。

 

王騎の死亡シーンを振り返る!最後に戦った相手は?

直接王騎を討ったのは「龐煖」。

そして、間接的に王騎を倒すのに一役買ったのは、「李牧」と「魏加」です。

王騎の死亡シーンを振り返っていきましょう。

(王騎の最期の戦いに至るまでの経緯については、後述「王騎が死ぬまでの戦況を確認!」参照)

 

李牧が到着

三日目の戦いの途中、李牧が到着しました。

李牧は趙軍の軍師です。

王騎は、何か策の匂いを感じ取っていました。

後ろに軍師がいるのではないか・・・と。

しかし、完全に情報が封鎖されていたため、この時点では王騎には策の全容がわかりませんでした。

一方、信が野営をしているときに、羌瘣が妙な気配を感じます。

龐煖の夜襲でした。

敵軍の総大将が単体で夜襲をかけるなんてことは、普通ありえません。

信と羌瘣の二人を持ってしても全く敵わず、飛信隊は退却します。

 

王騎登場

王騎が馬陽に向けて出陣しました。

迎え撃つ趙軍は渉孟です。

武に関して、絶対的自信を持っており、三大天になると豪語している渉孟。

(個人的には小物な感じがします・・・)

しかし、一撃で王騎が渉孟を討ち取りました。

王騎と信が話をしています。

龐煖の夜襲で半分以下になってしまった飛信隊。

辛いか?と王騎が聞きます。

信は、それについては今は考えない、今は残った36人でどうやって武功を立てるか考えていると答えます。

王騎は信にこう言いました。

「武将への道は犠牲の道です。そこを乗り越えるたびに人も隊もより大きくなるのです。」と。

 

龐煖を囮に蒙武を誘い出した、趙軍。

蒙武の軍はだんだん削られています。

一方、咸陽では、嬴政に会いに楊端和がやってきました。

そこで話を聞くと、楊端和達山の民は北の騎馬民族「匈奴」を撃つために進んだが、すでにそこには匈奴はいなかった。

(匈奴:戦闘能力・戦術理解・軍の規模どれをとっても桁違いの戦闘民族)

山の民がそこで見たのは、10万を超える匈奴軍の屍でした。

匈奴を殺したのは、趙軍とのこと。

そして、その軍を指揮したのは、李牧でした。

そのことが咸陽に伝わっていないということは、情報封鎖ををして、今回の戦に参入させるのではないかと楊端和は忠告します。

話は戻り、蒙武軍が絶体絶命のピンチに陥っているところへ王騎が到着しました。

龐煖と王騎が対峙します。

9年前の決着をつけようと王騎は言い、最終決戦が始まりました。

趙軍が三大天の証「大天旗」を掲げると、趙軍の士気が跳ね上がります。

それを見て、王騎も士気をあげるパフォーマンスをおこない、両軍のボルテージは最高潮に達します。

情報封鎖をおこなっているので、王騎はまだ李牧の存在を知りませんが、何やら不穏な空気があることは感じており、戦を急いでいるように見えます。

そして、ここで、龐煖VS王騎の一騎打ちが始まりました。

個人の武は互角?激しく打ち合っています。

山で一人篭って鍛えてきた龐煖と、多くの戦友を失い、敵を葬ってきた王騎。

王騎は、その亡くなった人の思いが双肩に重く宿っているから自分の剣は重いと龐煖に言います。

王騎が龐煖に重い一撃を喰らわせ、止めを刺す前に、李牧が到着しました。

秦軍は囲まれてしまい、大ピンチです。

しかも、李牧は三大天。

そこにも「大天旗」が掲げられ、趙軍の士気は上がり、王騎軍の士気は完全に砕かれました。

しかし、王騎も味方を鼓舞し、士気を上げ直します。

そして、ついに王騎が龐煖を討とうとしたときに、趙軍の魏加が矢を放ちました。

それに不意を突かれ、王騎は龐煖に胸を貫かれてしまいます。

もう助かる可能性がないのは見て明らかな王騎をこの死地から逃すために、信達は必死で包囲網を抜けようとします。

信は王騎の馬に一緒に乗り込み、敵を蹴散らしていきます。

そこへ意識が戻った王騎は言います。

背筋を伸ばして見てみなさい、これが将軍が見る景色です、と。

信は王騎と一緒に、大将軍の見る景色を垣間見ることで、また1つ成長していきます。

 

王騎、死す

死地を脱出した王騎と信。

李牧はもう追うべきではないと味方に伝えます。

「戦はここまでです」

最期のときを迎えようとしている王騎は、味方に最期の言葉を伝えます。

  • 謄に対し、王騎軍の全てを任せる、と。
  • 蒙武に対し、秦国軍の顔となるべき一人になるべく更なる成長を期待する、と。
  • 最後に信に対し、皆んなと共に修羅場をくぐり、色々学びなさい、と。

そして、信に自分の矛を渡し、王騎は亡くなりました。

 

 

王騎と龐煖の因縁

王騎にとって、一番熾烈で、忘れられない戦いが、9年前の「馬陽での戦い」でした。

その戦いの最中、六大将軍の一人「摎」が亡くなりました。

摎は、王騎の婚約者で、馬陽の戦いのあと、二人は結婚する予定でした。

そして、その摎を討ったのが龐煖でした。

9年前、夜間に摎の天幕には二千人の兵が護衛をしていました。

そこへただ一人で現れた龐煖。

二千人の兵を薙ぎ払い、摎と一対一の末、摎は討ち取られました。

この騒ぎを聞き、すぐ駆けつけた王騎は、激昂し龐煖に一気に攻めかかります。

そして、討ち取った・・・・はずですが、生きてた龐煖。

9年後に、趙軍総大将として王騎の前に現れました。

 

 

王騎が死ぬまでの戦況を確認!

王騎が戦場に到着し死ぬまでのシーンを確認していきました。

ここからは王騎到着前の戦況についても見ていきましょう。

信たち「飛信隊」が命名されたのも、この戦いの途中です!!

 

王騎、秦国総大将になる

蒙驁が二十万の大軍を率いて、韓を攻めている真っ最中に、趙軍が秦国に攻め入りました。

その数、少なくとも十万以上。

嬴政は即決断し、緊急徴兵令を下し、軍を立ち上げます。

趙軍の目的は、城取りだけではなく、蹂躙が目的だと見抜いています。

(過去に、秦国が趙国で大虐殺をした恨み)

急遽かき集められた秦軍十万を誰が率いるか・・・を咸陽では思案します。

(名だたる武将は韓に攻め入っているので)

呂不韋は、蒙武を将に推しますが、昌文君は反対します。

戦には攻守の二種があるが、蒙武は守には適さないと昌文君は考えています。

じゃあ誰が・・・という問いに対し、昌文君は一人だけ適するものがいると言います。

それが秦国最強の武将の一人「王騎」でした。

そして、昌平君が王騎将軍に「秦国総大将」を率いてもらうために依頼していました。

嬴政が正式に任命し、王騎が総大将になることになりました。

 

馬陽への出発前夜

王騎は馬陽での出発前夜に昌文君と話をしています。

昌文君は今まで散々秦軍を率いるのを拒んでいたのに、今回召集に応じたのは何故かと王騎に問います。

その質問には答えず、王騎は昔話をしています。

この二人、お互いが百将の頃からの仲です。

そんな話をしにきたわけではないと憤る昌文君。

王騎は、ある戦の話をします。

それが馬陽での戦いでした。

そこは、かつての六将の一人「摎」が亡くなった場所でした。

(実は、「摎」は王騎の婚約者でした。)

その弔いの地である馬陽だからこそ戦うことを決意したのか・・・と昌文君は納得します。

 

王騎、出陣

王騎は、蒙武を副将にし、出陣します。

王騎出陣の事実は中華全土に広がりました。

それは列国にとって大きな衝撃であり、この戦は一気に全土が注目するところとなりました。

この時点で、王騎が出発した咸陽から馬陽まで15日の距離にあります。

そして、信達は馬陽まで9日の距離にいます。

趙軍に近づくにつれ、蹂躙の情報が入ってきて、秦軍の士気が下がります。

脱走をする人も増えてきました。

これじゃあ戦えない・・・信達が思っていると後ろから騎馬隊がやってきました。

王騎です。

そして、王騎が「全軍、前進」と二言言うと・・・秦軍の士気が上がりました。

その頃、咸陽に趙軍大将の情報が入ってきました。

趙軍大将の名は「龐煖」

咸陽の官達は???誰???となっている中、昌文君の顔色が変わりました。

昌文君は説明します。

  • かつての六将の一人「摎」を討ったのが、龐煖ということ。
  • それに怒った王騎が、龐煖を斬ったこと
  • しかし、龐煖は生き残り、今度は趙軍の将として現れたこと。

そしてついに、王騎達は馬陽に到着しました。

 

王騎、飛信隊と命名する

王騎は信のところにきて言いました。

二万を率いている馮忌の首をとってきなさいと。

信達は百人。

二万の軍にたった百人で突撃して、将の首を取ってくるなど・・・不可能だと周囲の信の配下の者は言います。

しかし、信は、二万に対し、百人は豆粒だが、豆粒は豆粒なりの戦い方があるから、できる!と言います。

その褒美に、王騎は信達の隊を「飛信隊」と命名しました。

そして、信は馮忌を討ち取ることができました。

 

王騎の死亡シーンは◯巻◯話

王騎が亡くなったのは、16巻172話186頁です。

「馬陽攻防戦」のクライマックスです。

龐煖との一騎打ちの際に、趙軍魏加の矢に気を取られ、龐煖に胸を貫かれたことにより死亡しました。

 

王騎が死亡に対するネット上の反応

王騎将軍が死ぬシーンが描かれているのは、16巻でした。

かなり早い段階でありながら、王騎の存在は今もなお信達を始め、人々の心(ファンを含め)に残っています。

  • 最初から最後まで伝説の武人に相応しい立ち振る舞いをしていた
  • 死に際には信を含めて、多くの人間にたくさんのものを残している
  • 序盤で最期を迎えたのが残念だった
  • 亡くなったことが信じられない
  • ありえないけど、復活してほしい
  • 回想シーンを楽しみにしている
  • 王騎将軍の最期で描かれた信とのやりとりはキングダムで一番の名シーンだと思う
  • 信は王騎将軍の影響を受け、成長している
  • 愛馬に乗ったまま最後を迎えるシーンが強さと戦への信念を感じる。

このように王騎将軍は今でも人々に影響を与えている存在です。

 

まとめ

王騎将軍は序盤で亡くなってしまいますが、今もなお、人々に影響を与えている存在だと思います。

強烈な第一印象(おかま?キャラ)で、最初は何者???と思いましたが、言動・行動全てが最強の将軍(六大将軍)の振る舞いでした。

まだまだ活躍して欲しかったし、信にも色々教えて欲しかったと誰もが思っていたと思います。

しかし、回想でもいいのでたくさん出てほしい、そう願うファンも多いはずです。

信の成長を楽しみにしつつ、王騎将軍の回想シーンも楽しみにしていきましょう。

これで、王騎の死んだ理由(死因)についての紹介を終わります。

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